天下人にはならなかった。それでも、家は270年続いた。
「槍の又左」と恐れられた前田利家は、信長、秀吉という2人の天下人に仕えました。利家自身が天下を取ることはありません。それでも前田家は、江戸時代を通じて最大の大名「加賀百万石」として続いていきます。
その土台を築いたのは、利家・利長・利常という3人の当主でした。本記事では、3代それぞれの決断から、前田家が乱世を生き抜いた理由を解説します。トップに立たずに組織を守る。その生き方は、今の私たちにも多くのヒントをくれます。
初代・利家 槍の又左と呼ばれた若き日
かぶき者の若武者
前田利家は1538年、尾張の荒子(今の名古屋市中川区)を治めた前田家の四男に生まれました。少年の頃から織田信長に仕え、派手な服装や振る舞いを好む「かぶき者」として知られていました。
利家は長い槍を手に、合戦のたびに先頭で戦いました。通称の「又左衛門」から、「槍の又左」と呼ばれるようになります。
出仕停止と浪人生活
順調に見えた利家の人生に、大きなつまずきが訪れます。1559年、信長の身の回りの世話をする拾阿弥(じゅうあみ)を、口論の末に斬ってしまったのです。利家は信長の怒りを買い、仕えることを禁じられました。
浪人となった利家は、翌1560年の桶狭間の戦いに無断で加わり、敵の首を取ります。それでも、信長は許しませんでした。ようやく許されたのは、1561年の森部の戦いで再び手柄を立てた後です。
この苦しい時期を支えたのが、妻のまつでした。まつは利家のいとこで、幼い頃から前田家で育ち、12歳で利家に嫁いでいます。
桶狭間の戦いについては、「織田信長の桶狭間の戦い、兵力8倍差を覆した奇跡の逆転劇とは」で詳しく紹介しています。
利家、信長から秀吉へ 金沢城に入るまで
信長のもとで手柄を重ねた利家は、能登(今の石川県北部)を任される大名となります。
1582年の本能寺の変の後、織田家の家臣たちは、羽柴秀吉と柴田勝家の2つに分かれて争いました。利家は、長く上司だった勝家の側に付きます。しかし、秀吉とは若い頃からの親友でした。
1583年の賤ヶ岳の戦いで、利家は戦いの最中に兵を引き、戦場を離れます。これをきっかけに勝家は敗れ、利家は秀吉の側に付きました。上司への義理と、友との絆。その間で選んだ道が、前田家の運命を決めたのです。
戦いの後、利家は秀吉から加賀の一部を与えられ、金沢城に入ります。ここが、のちの加賀百万石の本拠地となりました。
秀吉の天下取りの歩みは、「豊臣秀吉の出世街道と人心掌握術に学ぶ、7つの成功法則と処世訓」で紹介しています。
秀吉の天下では、利家は豊臣政権を支える「五大老」の一人となりました。秀吉の死後は、幼い豊臣秀頼を守り、力を強める徳川家康を抑える役目を担います。しかし、秀吉の死からわずか8か月後の1599年、62歳で亡くなりました。
2代・利長 母を人質に出して家を守る
跡を継いだのは、利家の長男・利長です。利家という重しがなくなると、家康はすぐに前田家へ圧力をかけてきました。利長に、家康の暗殺をくわだてたという疑いがかけられたのです。
家康は、加賀を攻める構えを見せます。戦えば、前田家は滅びかねません。
そこで利長が選んだのは、母のまつ(芳春院)を、人質として江戸に送ることでした。まつは自ら江戸へ向かい、そのまま14年間を江戸で過ごしたとされます。
翌1600年の関ヶ原の戦いで、利長は家康の東軍に付きました。戦いの後、加賀の南部が加わり、前田家の領地は約120万石となります。ここに「加賀百万石」が形になりました。
関ヶ原の戦いについては、「石田三成と関ヶ原の裏切り劇|小早川秀秋ら5人の真相と結末」で紹介しています。
3代・利常 「鼻毛の殿様」が完成させた百万石
利長には子がいませんでした。そこで跡継ぎとなったのが、利家の四男で、利長の異母弟にあたる利常です。利常は、2代将軍・徳川秀忠の娘、珠姫を妻に迎え、徳川家とのつながりを深めました。
それでも、百万石という大きすぎる領地は、幕府から常に警戒されていました。そこで利常は、わざと鼻毛を伸ばし、間の抜けた殿様を演じたと伝えられています。「前田に天下を狙う気はない」と見せるためでした。
一方で、領国の政治には力を注ぎました。晩年には「改作法」と呼ばれる農政の改革を行い、藩の財政を立て直します。さらに、各地から職人を集め、工芸を育てました。今の金沢の伝統工芸の多くは、この流れを受け継いでいます。
まとめ:トップに立たず、家を守り抜いた3代
前田家の3代は、それぞれ違う方法で家を守りました。
- 利家:友との絆を信じ、仕える相手を選んだ
- 利長:母を人質に出してでも、戦を避けた
- 利常:愚かなふりをしてまで、幕府の警戒を解いた
3人に共通するのは、トップを狙わず、自分の組織を守ることを最優先にしたことです。そのしなやかさが、前田家を江戸時代の最後まで続く大名にしました。
前田家の生き方を身近に感じるために、次の3つを試してみてください。
- 自分の「賤ヶ岳」を考える:上司と仲間の間で迷ったとき、利家ならどう選んだかを想像してみる
- 大河ドラマと見比べる:2026年の大河ドラマ『豊臣兄弟!』にも利家が登場します。記事の史実と比べながら見ると、ドラマがもっと面白くなります
- 金沢と高岡を訪ねる:前田家3代のゆかりの地が、今も残っています
あなたが利家だったら、賤ヶ岳の戦いで、勝家と秀吉のどちらに付きましたか。
ゆかりの地を訪ねる
前田家3代の足跡をたどるなら、次の場所がおすすめです。
- 尾山神社(石川県金沢市):利家とまつを祀る神社です。ステンドグラスのはまった和洋折衷の神門が目を引きます
- 金沢城公園(石川県金沢市):利家が入り、前田家が代々本拠とした金沢城の跡です。石垣や門が残り、一部の建物は復元されています
- 瑞龍寺(富山県高岡市):利常が、兄・利長を弔うために建てた寺です。建物は国宝に指定されています
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参考文献・参考サイト
書籍
- 岩沢愿彦『前田利家』(人物叢書 新装版)吉川弘文館
- 見瀬和雄『前田利長』(人物叢書 新装版)吉川弘文館
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